時空を超えて 再発見!八ッ場ダム
9月22日(土)
毎年秋に八ッ場あしたの会が中心となり、群馬で恒例のシンポジウムを開く。
今年も1都5県のメンバーが高崎に集結し、八ッ場ダムが必要ない
ばかりか造ってはならない危険なダムであるとアピールする。
受付などの準備のため、朝早く千葉のメンバーと高崎に向かった。
今回のタイトルは、「ほんとうに造っていいですか?八ッ場ダム
~ダム湛水による危険性と水没する貴重な遺跡」
第1部は、八ッ場ダム予定地から発見された貴重な遺跡、文化財という
観点から改めて現地の自然景観を含めた価値を考えてみようという
新たな試みだった。
パネリストは、群馬の渡辺洋子さん、環境人文学がご専門の川村晃生さん、
考古学者の勅使河原彰さん、作家の森まゆみさん。
八ッ場ダム建設に先立ち行われる埋蔵文化財調査で縄文時代から弥生、
平安などの各時代の住居や土器が出土している。
長野原一本松遺跡と横壁中村遺跡からは、縄文時代の竪穴住居が
それぞれ200軒以上発掘された。
江戸時代・天明3年(1783年)に浅間山が噴火、8月5日には
噴火活動が頂点に達し、土石雪崩は泥流となって吾妻川を流れ下り、
現在の渋川市で利根川に合流、銚子沖や江戸湾にまで達した。
八ッ場ダム予定地もこの泥流にのまれ、発掘調査により、数々の遺跡が
見つかっている。
水没予定地の川原畑地区の東宮遺跡では15棟の建物跡が姿を現し、
酒造業、養蚕、麻栽培も行われる活気ある村であったことも分かった。
研究者も「貧しいとされる当時の山村の暮らしぶりの定説を覆すような
発見」と驚いている。
勅使河原さんによると、住家、畑という個々のものではなく生活空間全部
が遺跡となってタイムカプセルのように保存されているのは稀で、生活の
全景が復元され、江戸時代に山間地で人々がどのように暮らしていたか
分かる貴重な文化財」とのこと。
森まゆみさんも「同じ頃アイスランドの火山が噴火し、フランス革命の
遠因となったといわれている。浅間山の大噴火も天明の大飢饉とリンクする。
天災と社会不安の関係を知る上でも貴重な資料となるだろう」と語った。
他のパネリストからも貴重なご発言がたくさんあったのだが、
「文化財とは国民にとっての財産。将来の学習保障権」という言葉が
印象的だった。
文化財は地域の歴史を学ぶ教材であり、先人がどのように自然と折り合い
生きてきたのかを振り返り、将来を考える手がかりになる。
ダムもそうだが、自然と引き換えに開発を進め、利便性や物質的豊かさを
追い求めてきた日本社会。
その一方で失ってきたものは何なのか?
八ッ場の地で眠っていた遺跡が時空を超えて、語りかけている気がする。