震災から12年を考える
東日本大震災・福島原発事故から12年目を迎えました。
東北の沿岸に押し寄せた巨大津波、未曽有の原発災害。
ふるさと宮城をはじめ、当時まだ春遠い東北ではライフラインが途絶える中、人々は寒さに凍えながら、放射能汚染の恐怖に震えながら、幾日も過ごしました。
仙台に住む両親の安否がようやく確認できたのは、発災後3日目でした。
電気ガス、交通インフラの復旧・正常化に数カ月間もかかりましたが、その間の東北人の忍耐力に頭が下がります。
千葉の沿岸部においても、津波や液状化の被害が生じ、復旧復興に時間がかかりました。
震災直後という異例の選挙戦を終え、県議会では震災復旧復興のための特別委員会も設置されました。
電車のダイヤも乱れ、スニーカーでの通勤、災害グッズを携帯する日々が続き、社会全体に緊張感が漂っていたことが思い起こされます。
あれから12年が経ち、日常的な防災対策も疎かになりがちなこの頃。
3.11という日に改めて振り返り、これからの防災対策、自助・共助・公助で何が足りないのか?
津波災害や原発事故で故郷を追われ、家族や生業を失い、今なお平穏な日常生活を取り戻すことのできない方々に司法や行政はしっかりと向き合っているのか?
日本のエネルギー政策の進むべき方向性に問題はないのか?
失われた命や傷つけられた尊厳に思いを馳せ、各方面での課題解決へのアプローチやそのあり方について、改めて問い直す一日としたいと思います。
画像は昨年9月再訪した宮城県気仙沼市鹿折地区、南三陸町震災復興祈念公園、南三陸さんさん商店街、石巻震災遺構の大川小学校。