地震・津波対策議連で宮城・福島へ
5月14日(水)
県議会の地震・津波対策議連27名で東北の被災地を視察しました。
本清秀雄会長、吉本充幹事長はじめとする役員の皆さんには事前の調査や
関係者との連絡調整に加え、現地でのさまざまな雑務を快くお引き受け
いただき、本当にお世話になりました。
また、阿部俊昭副会長には、郷里である地元石巻の視察にあたって
様々なご配慮をいただき、ありがとうございました。
今回の視察の案内人を務められた會澤純一郎さん(塩釜市市民
ボランティア・希望代表)も八街市選出・山本義一議員とのつながりと
いうことも分かり、各会派の皆さんの復興にかける思いと超党派による
議連の底力を実感するとても有意義な経験をさせていただくことが
できました。
報告の冒頭にあたり、改めてお礼申しあげます。
ということで、第一日目のご報告です。
5月11日(日)
午前8時東京駅集合、東北新幹線で仙台へ。
仙台から北上し、最初の視察先は石巻漁港。
ガイド役の會澤さんがまとめてくださった資料には、現地の現状と課題が
さまざまな視点でまとめられ、グローバルそして新たな価値観で3.11
後の日本社会のあり方をとらえ返す必要があるのではないかと
問題提起していた。
車中では、それらの資料を片手に震災直後のエピソードや各自治体の首長
の奮闘ぶりなど、自らの体験をもとに語ってくださった。
正午前に石巻漁港に到着。
ここは8mの津波が到来し、1mほど地盤沈下した。
かつて石巻漁港は全国3~5位の水揚高を誇っていた。
現在、210億円をかけて日本最大900mの魚市場を建設中とのこと。
こちらが新たにできた防潮タワー
社長は大手水産会社から石巻に来られ、被災直後から復興の道筋を昼夜を
問わず考え、復興庁をはじめとする中央の官僚と渡り合ってきたそうだ。
宮城県知事が主導する水産特区をナオミ・クラインのマネー資本主義
(惨事便乗型資本主義)に重ねて批判し、それに対する「里山資本主義」
を説くなど、歯に衣着せぬもの言いは共感するところ大だった。
須能社長の名言集より
・市民から志民へ
・高齢者から光高齢者へ
・省エネから笑エネへ
・三カン王(関心、感動、感謝)などなど。
お宅はなんと船橋にあり、千葉とのご縁が深い社長さん。
場所を移動し、水揚げされた魚の放射性物質の測定現場を見学
東北大と開発したこの機器は、65ベクレルを基準に自動的に魚を選別
ここは、小学校から坂を上がった地点だが、津波は支柱の半ばまで到達
映像では幾度となく見てきたが、想像を絶する光景を目の当たりにした。
死者84人、そのうち子どもが74人、先生が10人。
7メートルの津波が屋根を超えて襲い、市の広報車も2回、避難を
呼びかけたそうだ。
5・6年生は裏山を登って逃げたが、学校はその他の子どもたちを
どうして避難させなかったのか?
「空白の52分」をめぐって、子どもを亡くした保護者が裁判を
起こしている。
慰霊塔で手を合わせた。
子どもの足で5分もあれば、避難できたとのこと。
残されたご遺族はどんなに無念なことだろう。
(続きは稿を改めて)