地震・津波議連 熊本視察(その1)
5月16日(火)
先週10日(水)~12日(金)の熊本視察について、ご報告します。
10日(水)10時15分羽田発の便に乗り、正午過ぎ熊本空港に到着。
千葉県議会「地震・津波対策議員連盟」主催の視察に出かけました。
この議連は、超党派のメンバーで構成され、今回は27人が参加。
いつも自民党の本清会長や吉本幹事長が視察の段取りの労を
一手に引き受けていただき、中身の濃い視察が実現しています。
改めて感謝です。
さて、前置きが長くなりましたが、最初の視察先はあの「益城町」。
昨年4月の熊本地震で甚大な被害を受け、たびたびマスコミでも
報じられていた地域です。
仮設の役場で議会事務局長からお話を伺いました。
4月14日21時26分頃にマグニチュード7.3、震度7の地震が襲い
これが本震だと思いきや翌々日の16日夜中1時25分頃、
さらなる規模の地震が襲い、20名の方々がなくなり、震災関連死や
125名が重傷を負いました。
家屋被害も全壊・半壊を合わせて約6000棟。
町の98%以上が被害を受けたとのことです。
応急仮設住宅を1562戸(18箇所)整備し、町の職員の7割が
2ヶ月間、避難所運営にあたったそうです。
最も避難者が多かったのは、4月17日朝で、16,050人。
この数の中に、車中泊などの自主避難者の数は入っていません。
人口約3万5千人の規模の町ですから、その大変さが良く分かります。
お話の中で特に強調されていたことは、「自助・共助・公助」の意識を
市民に浸透させ、公助が必要なところに職員の手当てを行い、
中長期の対策を検討できる体制にしておく必要があるということでした。
益城町では自主防災組織の組織率が低く、結果的に役場の職員が
避難所運営に入らざるをえなかった。
そのため、初動体制や復旧・復興策の取り組みに遅れが生じたとのこと。
その後、全国各地から応援職員が入り、ようやく復旧復興の
取り組みを進めることができたそうです。
また、災害防災無線が機能しない場合にどうするか?
情報提供の方法や市民への周知について
平時から検討する必要性があることも指摘されました。
仮庁舎でのご説明終了後、使えなくなった役場へ移動。
議場に至っては、天井が落ちてアスベストが噴出
これが昼間だったらどうなっていたことか…。
役場を後にし、町の総合文化会館にご案内いただきました。
外観は立派な建物ですが、地盤沈下が激しく立入禁止です。
益城町の震災復興基本方針は昨年7月に策定され
その後住民との意見交換を30回ほど重ね、12月には
復興計画ができたそうです。
ようやくスタートラインに立ったという印象を強く感じました。
今回、益城町の皆さんからご教示いただいた防災対策の課題を
しっかりと復習し、今後の千葉県の政策につなげていきたいと思います。
2日目以降の視察については、改めて報告します。