東日本大震災から10年を考える/ 防災県ちばへ
3.11から10年が経過。
発災当日、私は佐倉市議会にいました。
議会棟からすぐ自宅に戻り、夕方には中学生と高校生の息子たちが帰宅しましたが、夫は横浜に足止め状態でした。
その日から3日間、仙台の実家とは電話が繋がらず、夜も寝られずひたすら連絡を待ち続けました。
ようやく両親の声が聞き、安否確認できた時は、涙が出るほど嬉しかったことを覚えています。
その後も連日のように津波で壊滅状態の宮城・岩手の沿岸地域、福島原発事故による放射能被害が報じられ、不安な毎日が続きました。
その春は県議選への初チャレンジ、息子たちの高校・大学受験と三重苦ともいえる試練の日々でした。
でも、東北の方々の大変さに比べれば大したことではありません。
寒い東北で不自由な避難生活を送っている東北人の忍耐力に励まされたものです。
千葉県では津波や液状化被害もありました.
思い返せば、さまざまな記憶が甦ります。
このたび私の所属する立憲民主党が「震災から10年を考える」ウェブサイトを作りました。
東日本大震災復興に対する34項目の提言も出しましたので、以下にご紹介いたします。
党として、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故の課題に取り組んでいる姿を多くの方に知っていただきたいと思います。
【参考】
- #震災から10年を考える – 立憲民主党 (党ウェブサイト 震災から10年まとめページ)
- 東日本大震災復興に対する34項目の提言 – 立憲民主党
- 【代表談話】絶対に風化させることなく、本格的な復興へ 東日本大震災から10年を迎えて – 立憲民主党
- 党公式ツイッター #震災から10年を考える 代表メッセージ動画
特に、故郷仙台市選出の岡本あき子衆議院議員とはご縁があり、そのご活躍を頼もしく感じています。
ぜひサイトをご覧ください。
あの震災で多くの命が奪われ、愛する家族を失った人々、原発事故で住み慣れた故郷を追われた福島の人々の姿がありました。
あれから10年、何ができて何ができなかったのか?
この間の防災・減災対策、ソフト・ハード面での検証を行い、いつ来るか分からない災害に改めて備えていく必要があります。
くまがい俊人知事候補の県政ビジョン2では、「災害に強い防災県」をめざすとしています。
新しい知事と一緒に力を入れて進めていきたいものです。
画像は、くまがい俊人政策カーでの街宣活動。
今日の午前中は、佐倉と八街市を回りました。