地方から平和を!
8月6日(水)
今朝、広島は、原爆投下から69年目のを迎えた。
私も広島市のインターネット中継で平和式典を視聴。
ともに平和への願いを祈った。
◆松井一實広島市長の平和宣言より
(前略)私たちも力を尽くします。加盟都市が6,200を超えた平和首長会議
では世界各地に設けるリーダー都市を中心に国連やNGOなどと連携し、
被爆の実相とヒロシマの願いを世界に拡げます。そして、現在の核兵器の
非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの
核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大
します。
(中略)唯一の被爆国である日本政府は、我が国を取り巻く安全保障環境が
厳しさを増している今こそ、日本国憲法の崇高な平和主義のもとで69年間戦争
をしなかった事実を重く受け止める必要があります。そして、今後も名実ともに
平和国家の道を歩み続け、各国政府と共に新たな安全保障体制の構築に
貢献するとともに、来年のNPT再検討会議に向け、核保有国と非核保有国の
橋渡し役としてNPT体制を強化する役割を果たしてください。
また、被爆者をはじめ放射線の影響に苦しみ続けている全ての人々に、
これまで以上に寄り添い、温かい支援策を充実させるとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう求めます。
今日ここに、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向け、
世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
松井市長の平和宣言では政府に対する直接的批判はなかったものの
平和憲法を持つ意義と地方から平和をつくりだす決意が語られた。
◆平和宣言に続いて、子ども代表によるメッセージ
広島市ホームページから引用させていただく。
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わたしたちは、信じることができませんでした。
69年前の8月6日、この広島に原子爆弾が落とされ、
多くの尊い命が奪われたことを。
5歳だった祖父は、「地獄のような光景が今も目に焼きついている。」と
語ってくれました。
広島に育つわたしたちは、広島の被害、悲しみ、そして、強さを学びました。
爆風により、多くの建物がくずれました。
家や家族を失い、ふつうの生活がなくなりました。
その中で、
水道は1日も止まることなく、市内電車は、3日後には再び走りはじめました。
広島は人々の努力によって、町も心も復興したのです。
悲しみや苦しみの中で、生きることへの希望を見つけ、
生き抜いた人々に感謝します。
当たり前であることが、平和なのだと気がつきました。
ある語り部の方は言いました。
「小さなことからはじめてほしい。」
わたしたちは、もう行動をはじめています。
友達を大切にし、優しく接しています。
家族や被爆体験者から被爆の事実と平和への思いを聞いています。
平和の思いを込めて、毎年千羽鶴を折り、慰霊碑に捧げています。
平和とは何か自分で考え、友達とも意見を交流しています。
平和について考えることで、仲間とつながりました。
わたしたちは、できることからはじめる勇気をもつことができました。
Welcome to Hiroshima.
みなさんをここ広島で待っています。
平和について、これからについて
共に語り合い、話し合いましょう。
たくさんの違う考えが平和への大きな力となることを信じて。
平成26年(2014年)8月6日
こども代表 広島市立牛田小学校 6年 田村 怜子
広島市立尾長小学校 6年 牟田 悠一郎
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田村さんと牟田さんは、被ばく者であるおばあさんやおじいさんから
戦争体験を聞いてきたとのこと。
「当たり前であることが平和なのだ」
「たくさんの違う考えが平和への大きな力となる」という言葉が心に響く。
この後の安倍首相の式辞には、まったく心が感じられなかった。
やはり平和を創りだしていくのは、国ではなく地方だ。
お金、経済、地位、名誉…何よりも命が大事!
草の根で次世代に戦争のリアリティを伝えていかなくてはならない。
身近にある小さな命。
青みかんにつくアゲハの幼虫(写真中央↓)
先週末、アゲハ蝶になって空に飛んで行った!