70年目の沖縄

6月23日(火)

県民の4人に1人の命が奪われた沖縄戦から70年。
最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園において
「戦没者追悼式」が開かれ、翁長知事は平和宣言を行いました。

議会中のため、残念ながらリアルタイムで翁長知事の言葉を聞くことは
できませんでしたが、帰宅後にメッセージを確認しました。
以下、全文を引用します。

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70年目の6月23日を迎えました。
私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀に見る熾烈な地上戦が
行われました。
20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った
悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。

それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを
鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の
安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。

戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を
力強く歩んでまいりました。
しかしながら、国土面積の0・6パーセントにすぎない本県に、
日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8パーセントが集中し
依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発に
様々な影響を与え続けています。
米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、
嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、
専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7パーセントしか
縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠い
ものであります。

沖縄の米軍基地問題は、我が国の安全保障の問題であり、
国民全体で負担すべき重要な課題であります。
特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で
反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは
困難であります。

そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された
世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、
「その危険性除去のため辺野古に移設する」、
「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、
到底県民には許容できるものではありません。

国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、
平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。
政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ
移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を
再度見直されることを強く求めます。

一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困が
もととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙されるなど
悲劇が今なお繰り返されています。

このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かす様々な問題を解決する
には、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。

戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人達の
「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の
発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。

未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、
いつまでも子ども達の笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、
全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。

2015年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志

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以上、引用終わり。

写真は、昨日から議会棟入口に飾られた向日葵の花
館山のひまわり

初夏を先取り
館山のひまわり2
館山の西岬(にしざき)産